【「AMAワゴン」の記録・目次】
(1)はじめに
(2)海士町の産業創出策
(3)海士町の「次の一手」としての、都市との交流戦略
(4)地域には助っ人外人・雇われFWが必要
(5)効率的な集客モデル
(6)定住のご縁は、間接的に訪れる
(1)はじめに
ここでは、2006~2008年にわたって開催された、島根県隠岐郡海士町の都市農村交流ツアー「AMA(あま)ワゴン」の記録を書き記していこうと思います。
海士町に通うようになったの2005年頃からでしょうか。師匠の関満博氏の紹介がきっかけです。当時既に海士町は起死回生の産業創出策で各種メディアに頻繁に取り上げられ、全国的に注目されるようになっていました。
そんな中、「一通りの産業創出策はやり終え、あとは実際に運営していくだけ」として、さらに 「次の一手」を模索する動きがおきていました。当時尾野は一橋大学の4年生、エコカレッジは創業3年目で本社はまだ東京、しかも大して稼げていない状態。漠然と来年以降どうやって生きていこうかと思う中、毎月のように足繁く通い、
役場の方々と次の一手に関して議論し続けていました。
どうやらその一手とは「交流戦略」になりそうだという結論が見えだした翌2006年、尾野も(奇跡的に)大学院生になり、一橋大学院商学研究科・関満博研究室(当時)と、海士町教育委員会との共催で、東京・大阪と海士町を結ぶ交流ツアーを開催しようということになりました。
某民放番組の「ラブワゴン」をもじって、「海士ワゴン」はどうだという話に。海士町はよく「かいしちょう」と読み間違えられるので便宜上「AMA」がいいとなりました。ここから、3年間にわたり、派生分も含めて20回以上のロングランとなる都市農村交流イベントが生まれました。
成果はあったのか??
果たして3年間の一連の企画がどれだけの成果を残したのかは私にもよく表現できません。若者が大挙して押し寄せて、地域コミュニティを散々荒らして帰っただけなのか?はたまた、外の若者に刺激されて地域や学校が活性化されたのか?
そんな賛否両輪、山ほど語られました。
その中で、客観的な話をするならば、延べ500名近くの若者が海士町へ出入りし、20名近くが間接的なつながりから海士町へ定住するに至ります。島根県の定住施策にも少なからず影響を与え、「ふるさと島根定住財団」においては、田舎体験プログラムの一環として「県外発着のバスツアー」を開催した場合に補助金を支給する制度まで誕生しています。
また、存続危ぶまれる地元の隠岐島前高校活性化にあたっては、
2012年より1学年2クラス編成が復活することが決定し、交流戦略の一つの目的であった「交流を通じた島の教育活性」が達成されたことになります。
AMAワゴンがこれにどこまで貢献したのかは議論の余地が残りますが、島の中ではあり得なかった「教育活性系の人材を外から呼び寄せる」という当初の目的は達成されたのかと思っています。また、先進的な取り組みを行っている全国の事例を海士町に招聘し「これでもか」というほど講演させたので、そうした最先端のノウハウ輸入という意味でも役には立ったのかと自負はしています。
掲載記事・論文等
新聞記者、テレビなど相当数取材に来ていただいたのですが、ほとんどボツになっています。。
このAMAワゴン、見た目の単純さに比べて、イベントとしての仕組みを説明すると非常に難解になるため、ほとんどの方が途中であきらめてしまうようです。
その中で、参考になりそうなものとして、
1.尾野寛明 『中山間地域におけるコミュニティ活性化と雇用創出 ~自治体戦略としての都市農山漁村交流、島根県隠岐郡海士町を事例として』(一橋大学院商学研究科修士論文
2007年) ・・・当時の客観的データなども収録しています。
2.尾野寛明 「中山間地域振興と都市農村交流」(関満博編『中山間地域の「自立」と農商工連携―島根県中国山地の現状と課題』 新評論、2009年)・・・一橋大学院の研究チームで島根の地域おこしを研究していた際に、1トピックとして執筆したものです。
3.羽鳥 圭 『新事業推進のためのI ターンの支援体制 ~海士(あま)町の地域経営を事例に~』(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士論文
2008年) ・・・後輩でAMAワゴンの運営などにも携わってくれていた羽鳥君(通称バード君)が客観的に論じてくれています。
4.山内道雄 『離島発 生き残るための10の戦略』 (NHK出版、2007年) ・・海士町長の本です。ごくごく数行ですが、触れてくれました。
雑感
AMAワゴンの企画運営は、私自身にとっても、今のワークスタイルを確立させる転換点のようなものでした。
巷の田舎体験ツアーでみられるような「田舎暮らしのすすめ」「起業のすすめ」といった凝ったプログラムは一切なし。離島の中学校・高校で出前授業があるから講師と一緒にその場で考えてという適当っぷり。
とりあえず離島にやってきて、うまい魚を食ったら、あとは自分たちで課題を設定して勝手に学んで帰れ!みたいな。本当に高飛車な企画でした。
それでも命がけで地域おこしに走り回る海士町の人々に感銘を受け、 毎回の講師陣の素晴らしいプレゼンに刺激を受けて、異常な盛り上がりを見せていました。今でもあんなのがよく続いたなぁと、我ながら感心するばかりです。
そして島根県内各地で様々な定住対策の取り組みを行っているうちに、過疎地の定住に向けたノウハウもだいぶ蓄積されてきました。当時なかなか言語化できなかった部分も、かなり説明がつくようになっています。
今でも、各方面の関係者から「AMAワゴンって一体何?」という問い合わせを頻繁にいただきます。そろそろきっちり記録として残しておかねばと思うようになりました。この場を借りて書ける限りのことを書いていこうと思います。
→(2)に続きます。